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地域密着の企業『株式会社 綿引無線』代表取締役のBLOG
防災の日を迎えて!!


  9月1日は「防災の日」です。

ご存じのように,1923年(大正12年)のこの日に関東大震災が発生しました。この9月1日を中心にした一週間は,防災週間(今年は8月30日から9月5日まで)として毎年様々なイベントが行われますが,今回は国政選挙があったために,少し時期をずらして防災訓練などを行うところも多いと思います。

 

関東大震災についての資料は,映像を始めとして余り目にする機会がありませんでしたが,東京に住む機会があった際に読んだ小説(吉村昭『関東大震災』文芸春秋)でたいへん衝撃を受けた記憶があります。さらに,1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災においては,現地の被災状況が生々しく映像で伝えられ,改めて大地震の恐ろしさを感じさせられました。地震は古来より怖いものの代表として挙げられていますが,日頃の備えを十分に行うことが極めて重要であることをこの機会に改めて認識する必要があります。

 

東京のJR両国駅北側は,国技館や江戸東京博物館などの大きな建物があり,休日には多くの人出があります。春には桜が満開となり,非常にのどかな雰囲気が漂っています。この華やかな地区の少し北側にあるのが横網町公園です。国技館が近いですので,横綱町かと思いがちですが,横網町公園が正解です。

以前に仕事でたまたま通った際に,横綱と横網の違いが目に付いたことから改めて周囲を見回してみたところ,何となく周りの雑踏から切り離された静寂感が漂っていることに気付きました。この公園の中にあるのが東京都慰霊堂です。ここには,関東大震災の際の身元不明者の遺骨が納められており,その後1945年にあった東京大空襲の身元不明者の遺骨も合わせて納められているとのことです。

 

先の小説にて,関東大震災の最大の悲劇として描かれているのが陸軍被服廠跡地の火災です。当時この跡地は,被服廠が移転した後の更地として残っていたのですが,関東大震災による火災発生により,多くの被災者が避難して集まっていました。そして,そこに襲いかかったのが周囲の火災によって引き起こされた火災旋風です。避難している人たちは,もう逃げ場がなく,この地だけで約4万人という方々が犠牲になったと言われています。この陸軍被服廠跡地の場所が,正に横網町公園ということで,慰霊の施設が建てられたという訳です。

 

先日も集中豪雨で大きな被害を受けた地域がありますが,自然の猛威をこれでもかという程思い知らされる結果となりました。我々の身の回りの高度な文明社会も,結局は大自然に生かされているというように考えるべきかもしれません。そう言えば,東海地震の危険性が盛んに言われていた当時,地震発生の予測は所詮極めて難しい技術であり,それよりは地震が例え発生しても大丈夫なような備えに精力を傾けるべきと主張された高名な地球物理学の先生がおられましたが,ここ何年かの内外の地震災害を見てみると,これも一理あるように思えてきます。

 

最近は,環境問題についてもたいへん大きな議論が巻き起こっていますが,地球環境の46億年に渡る長い歴史を考えてみますと,我々の思い及ぶ範囲を超えた大きな世界があることは率直に認める必要があります。しかし,そうは言っても,ただ単に手を拱いていることはできませんので,叡智を結集してみんなで考え,普段から一人ひとりができることを確実に進めて行くことが重要です。

 

最近,災害発生直後から多くのボランティアの方々が被災地に入り,復旧の手伝いに汗を流している様子がインターネットなどで目にすることができるようになりました。それぞれの事情でできる範囲は異なっていても,何らかの形で助け合いたいという共通の気持ちは,もしかすると大自然に立ち向かう人類の最大の強みかもしれません。旧来の地域的なコミュニティに留まらず,その枠組みを越えた新たなコミュニティも活用しながら,『共助』的な取り組みを具体化していく時代と言えます。その中で,我々が携わっている通信技術がどのように貢献できるのか,新たな発想が求められています。

| - | 08:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |