12月となりました。
徐々に雪の便りを聞くようになって年末が近づいてきたことを実感するようになってきました。もっとも,この時期は季節的な肌感覚よりは,日常的に見聞きする街の喧騒によって感じることが多くなっているようにも思います。もしかすると,季節に応じたコンビニの商品PRが季節感を最も決定的に支配しているようでもあります。
先月後半あたりから寒さが徐々に本格的になってきましたが,時には季節が逆戻りしたように感じる日もあり,自然界の“ゆらぎ”に翻弄されそうな予感です。一方で,最近は年齢的な影響により季節感が鈍ってきているのではと少々不安な想いも感じ始めていますので,なおさら現実と感覚のずれが気に掛かるところです。何れにしろ,最も賢い対応の仕方としては,感覚的な“ゆらぎ”は受け入れて,決して“無理をしない”というところでしょうか。
最近,世の中には様々な動きが生じてきていますが,「今までにない新たな流れ」という感覚より先に,「昔どこかで見聞きした動き」というように過去との関連付けを行うようになってきました。結局は社会的な状況変化に応じて,新しく生じてきている合理的な流れが時代を動かしてきていることは明らかですが,寄る年波には抗えず,徐々に記憶領域が脳内で幅を利かせて思考経路を支配するようになりつつあるのかもしれません。
先月から俄然脚光を浴び始めているメキシコでの移民集団のデモ行進ですが,いよいよ米国との国境に到達する段階となりました。約7,000人にも上ると言われる移民の集団が中米から移動してきたということですので,その行動を実現させた何らかの支援があるようにも思いますが,正に国境を挟んでの緊張が高まってきているようです。
このような光景を目にして思い出されるのが,かつて読んだ小説『怒りの葡萄』で描かれていた世界でした。米国の南部に位置するオクラホマ州の農民たちが,砂嵐などの自然の猛威と,農業機械化の流れを受けて,新たな安住の地を求めてカリフォルニアに移動する物語であり,当時はその主張するところは十分に理解できていませんでしたが,何となく古き良き時代の極めて牧歌的な雰囲気を気に入っていたように思います。
より良き生活を求めて安住の地を目指す想いはいつの時代も変わらないことは明らかですが,既に欧州で問題になったように,そこには受け入れる側との様々な軋轢が生じることとなります。そもそも,住み慣れたところから移動せざるを得なくなった要因にも目を向けて,根本的な問題を解決していくことも忘れてはならないと思います。既に,新大陸の発見が不可能な状況の中で,地球という掛け替えのない“約束の地”で安住していくことができるように,一人一人がそれぞれの立場で考えて行動していくことが必要となってきているようです。
地球上では様々な社会的な動きが繰り広げられていますが,一方で,宇宙に向けての動きが非常に活発になってきています。現在刻々とその活動状況が伝えられている我が国の小惑星探査機“はやぶさ2”に留まらず,火星や金星に引き続いて,水星や太陽にまでアプローチする動きが始まっており,“ボイジャー”のように太陽系を脱出して移動を続けている探査機もあります。これらの活動によりもたらされる映像なども見ても,改めて我々にとっての安住の地である地球というものの特別な存在を感じざるを得ません。
そのような中で,今年は英国の科学者であるホーキング博士の話題が多く取り上げられた一年でもありました。この3月に76歳の生涯を閉じられたこともありますが,若くして難病に侵されながら,物理学者として優れた業績を残されたことを強く認識させられたようにも思います。改めて,その足跡を辿ると,我々にとっても多くのことを考えさせられます。
ホーキング博士が先鞭をつけた「宇宙の量子化」は,宇宙の始まりを解明する大きな足掛かりとなり,ビッグバン以前の宇宙創成を記述する「インフレーション理論」を生み出すこととなりました。既にこの理論を裏付ける観測結果も得られるようになってきているようですので,今後の展開に期待が高まるところです。その一方で,身体的な病魔との戦いと共に,宇宙の始まりに関わる真理の探究ということで,宗教界との関係においても様々な議論を呼び起こすこととなっていたようです。
ただ,宇宙に想いを馳せるほどに,地球という存在,そこに暮らす人類にとっての安住という願いに対する想いが強くなってくるように感じられ,これはかつてのガリレオやニュートンの時代から変わらないようにも思います。真理を探求したいという科学者としての立場と,宗教を信じるという人間の内面的な立場との関係性において様々な葛藤があったことは確かなようですが,そこには人類が大きく包み込まれている宇宙を前にした謙虚さがあり,それが実は探求心をさらに掻き立てていたようにも感じます。
時間と共に病状が徐々に悪化していく中で,ホーキング博士はどのような想いで地球上で繰り広げられている社会の行く末を見据えていたのでしょうか。
「科学者とは,自然に対して最も謙虚なものであるべきであり,そのことと神を信じる姿勢とは,まったく矛盾しないのです。晩年のホーキングも,そのことに気づいていたのではないかと私は考えています。」〔「科学者はなぜ神を信じるのか 〜 コペルニクスからホーキングまで」:三田一郎著(講談社 2018年7月)〕
翻って,我々自身も地球上での安住を維持していくためには,科学者に負けないくらいの謙虚さが必要であり,それがこれから先さらに強く求められるようになっていくのではないでしょうか。
様々な想いと記憶を残して,平成最後の師走が過ぎ去ろうとしています。